📖 「サイドFIREまでの道のり」(全12回連載)
株主優待ブログを運営するYoshiが、サイドFIRE(セミリタイア)を実現するまでの歩みを綴る全12回の連載です。確定拠出年金(企業型DC)との出会いをきっかけに投資をスタート。インデックス投資から始まり、高配当株投資、株主優待クロスへと投資手法を広げながら、コツコツと資産を積み上げてきた約15年。
「いつまで今の働き方を続けるのか」「お金があれば本当に自由になれるのか」――。そんな問いと向き合いながら試行錯誤を重ね、会社員からサイドFIREへ至るまでの道のりを、実体験をもとに振り返ります。
理工系大学院から、なぜ商社へ?
理工学系の大学院を修了し、新卒で就職したのは商社でした。
「なぜ商社に?」と、周囲からはよく聞かれました。技術職や研究職ではなく、あえて商社を選んだことを意外に思われたのでしょう。
当時の私は、どちらかというと内向的な性格でした。だからこそ、多くの人や商品と関わる仕事に飛び込めば、自分自身を変えられるのではないか——そんな思いが、商社を選んだ理由の一つです。
入社後は約2か月のOJT研修を経て営業部門に配属されました。担当業界の知識や商品について学ぶことが多く、勤務時間外も勉強の毎日。それでも、取引先との面談を重ねながら外回りを続けるうちに、人と接することへの苦手意識は少しずつ薄れ、自分自身が成長している手応えを感じるようになりました。
突然の管理部門への異動
そんな営業部門での仕事を数年間続けたころ、突然、管理部門への異動を命じられました。
異動の理由は今でも分かりません。会社として適性を見ての判断だったのかもしれません。当時はまだ若かったこともあり、新しい環境にもすぐになじむことができました。
管理部門では、総務・人事を中心に、採用活動、研修の企画立案、人事・給与制度や評価制度の改定、社内規程の整備、健康保険組合の業務、会社ホームページの管理、社内行事の企画運営、株主総会の準備運営など、幅広い仕事を経験しました。営業とはまったく異なる分野でしたが、新しい知識を吸収する毎日は新鮮で、仕事の幅が大きく広がっていく実感がありました。
どの業務も貴重な経験でしたが、その中でも私の投資人生を大きく変えるきっかけとなったのが、確定拠出年金の導入プロジェクトでした。

確定拠出年金の導入が、人生の転機になった
管理部門へ異動してしばらくした頃、会社で導入していた退職年金制度を確定拠出年金制度(企業型DC)へ移行するプロジェクトが立ち上がり、私もそのメンバーに加わりました。
プロジェクトが本格的に始動してから制度移行が完了するまでには、さまざまな課題を乗り越えながら約3年を要しました。勤務先は財務体質が良好で、退職年金の積立不足といった問題を抱えていなかったため、制度移行を急ぐ必要がなかったことも、その一因でした。
一方で、このプロジェクトに携わったことで、企業型DCの制度設計や運用商品、資産形成の考え方などを実務を通じて学ぶ貴重な機会を得ました。
そこで出会ったのが、「長期・分散・低コスト」という資産運用の基本的な考え方です。
その考え方を裏付けてくれたのが、バートン・マルキールの『ウォール街のランダム・ウォーカー』、チャールズ・エリスの『敗者のゲーム』、ジェレミー・シーゲルの『株式投資 長期投資で成功するための完全ガイド』といった長期投資の名著です。いずれも、データと理論に基づいて長期・分散投資の合理性を丁寧に解説しており、私の理解をより深めてくれました。
株式投資における長期投資の有効性が、データと理論の裏付けとともに腑に落ちた瞬間でした。短期の値動きを追いかけるのではなく、長い時間を味方につける——。この考え方との出会いが、その後の投資人生の土台となりました。
余談:90%以上が「定期預金」を選んだ現実
少し話はそれますが、企業型DCの導入にあたっては、制度の概要や長期投資の考え方について、Web会議や支店を回りながら従業員向けの研修を行いました。
ところが、制度開始後に運用状況を確認してみると、90%以上の従業員が定期預金などの元本確保型商品を選択していました。
長期で運用するのであれば株式を組み入れるメリットは大きいと説明したつもりでしたが、その結果を見て少し残念に感じたことを覚えています。同時に、日本では「投資=投機(ギャンブル)」というイメージがいかに根強いかを、改めて実感する出来事でもありました。
今では新NISAの普及などを背景に投資への関心は高まっていますが、当時はまだ「投資は怖いもの」という考え方が一般的だった時代です。この経験は、投資の知識を伝えることの難しさと重要性を考えるきっかけにもなりました。
次の記事では、これらの経験を経て自分自身の投資スタイルがどのように形作られていったかをお話しします。

